ワンダーのトピックス
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北海道・美瑛を拠点に実践中。吉田鉄平の持続可能なコミュニティづくり
2024.09.30
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災害・コロナ禍がきっかけで社会が大きく変わり、これまでの常識が覆されたことは、みなさんもご承知の通り。価値観が大きく変化した世界で自分らしく生きていくために、新しい働き方、暮らし方へ一歩踏み出した先駆者たちは、どのような考えを持ち、実践しているのだろうか。
北海道を代表する「美しいまち」である美瑛町を拠点に、ユニークな活動を展開する有限会社チカラノの代表・吉田鉄平さんを訪ねてお話を聞いた。
吉田鉄平さんとエゾシカの骨をかじるクマノスケ。暖炉の薪は所有する山から調達している(写真:川原亮)
鉄平さんの仕事を一口で紹介するのは、なかなか難しい。
本人いわく、職業は土、氷、雪で作品や生活をつくる「ライフスタイルアーティスト」。主催するチカラノに集った仲間たちと、食・住・エネルギーの自給自足をテーマに、さまざまな事業を行っている。
アイスバーの室内(写真:川原亮)
一棟貸しの宿泊施設やレストランの経営をはじめ、土で造る住居「アースバッグ*」の普及・施工から、厳冬期限定のアイスヴィレッジやまちおこしイベントの運営、アウトドアアクティビティのプロデュース、自家製野菜やハーブの生産、地元産のエゾシカ肉の商品化まで、その取り組みは多岐にわたる。
現在は、メイクアップアーティストとして活躍する奥さんの宣子さんと愛犬クマノスケとともに、2003年3月に閉校した旧美瑛町立俵真布(たわらまっぷ)小学校を拠点に活動している。
アイスバーとアイスドームは、仲間たちと一緒に手づくりで建てる(写真:川原亮)
そのコンセプトをあえて短く表現するなら「サステナブルな暮らしを目指すコミュニティの運営」ということになるだろうか。社名のチカラノは、from the earthの意味で、大地のチカラに根ざした、地に足のついたプロジェクトを推進していこうという意図が込められている。
*アースバッグ工法とは?
土や石灰、セメントで作った混合土を土のう袋に詰めて積み上げる、シンプルかつユニークな建築工法。イラン人の建築家ナダー・カリリ氏が古代中東建築と現在の建築技術をミックスして考案した。どこにでもある土を主な建材に用いるため、環境への負荷が少ないのが利点。ドーム型や連結型など設計の自由度の高いローテク工法として注目されている。
鉄平さんの暮らしには、仕事と遊びの境界線が無い(写真:川原亮)
鉄平さんは経歴もユニークだ。出身は北海道旭川市。18歳で初めて世界一周の船旅に出て以来、船内で屋台を運営しながら地球を6周半して(!)見聞を広めた。その後、東京でラーメン店を約10年間にわたって経営。30代で「アースバッグ」に出合い、日本各地に10棟を建設した。東日本大震災をきっかけに、それまでの生き方を大胆にシフトチェンジ。38歳のときに、宣子さんと一緒に東京から美瑛町俵真布に移住した。
最初の2年間は、譲り受けた中古のビニールハウスを山中に建てて二人で暮らしながら、「アースバッグ」の建築と地元農家の援農に力を入れていたというから驚きだ。
ここが始まりの地。吉田さんは旭岳を望む約6000坪の山地を所有している。昔暮らしていたビニールハウスはすでに倒壊(写真:川原亮)
「アースバッグの建築には時間も人手もかかるので、全国から集まってくれた協力者の滞在先に困っていました。美瑛は空き家も少ないし、ビニールハウスでの生活を強いるわけにもいきませんよね。そんな時、手伝っていた畑の近くに活用されていない廃校があることを知り、『拠点として使えるのでは?』と考えて町役場に掛け合いました」
旧美瑛町立俵真布小学校は旭山動物園や旭岳ロープウェイまでは車で約30分、美瑛の丘まで約20分というロケーション(写真:川原亮)
「今でこそ廃校になった校舎をまちおこしに活用するケースが増えていますが、当初は行政側にも前例がなかったので、手続きが大変でした。住民説明会を何度か開催して、地域の皆さんの同意書を集めたりしながら、2年かけてようやく借りることができたんですよ」
外観の丸い部分の内部は図書室。冬の間はブルーシートで床を保護している。(写真:川原亮)
また、鉄平さんは地元住民との信頼関係を醸成するために、当初から努力を惜しまなかったという。
「例えば地域の草刈りにしても、誰よりも早く現場に行って、めちゃくちゃ頑張って、最後の片付けまできっちりして帰るというのを徹底していました。これを続けていくと、やっぱり受け入れてくれますよね」
今では鉄平さんを慕う仲間たちが全国各地から俵真布に集い、チカラノに協力しながら、思い思いの活動に励んでいる。
校庭を使った冬期限定のアイスバーやアイスドーム、野外サウナはまちおこしの一環。「びえいの冬まつり in チカラノ」を開催し、地域に人を呼び込んでいる
明治初期に「蝦夷地」が「北海道」になって以来、この地には開拓精神にあふれる人々が次々と移り住み、夢と情熱を原動力に新たな事業を切り拓くことで発展を遂げてきた。吉田さんは北海道出身ながら、まさしくこの系譜を受け継ぐフロンティアスピリットにあふれた開拓者であり、その結果「まちづくりそのもの」が仕事になっているのだ。
廃校を拠点に暮らすという既存の価値観に縛られない発想は、まさに北海道的。「この暮らし方は一種の社会実験だと考えています」と語る吉田さんに、今後の目標を伺ってみた。
「山の中にアースバックでリトリートセンター(日常から離れて自然と人が出合う場所)のようなリゾートを造りたいと思っているんですよ。イベントを開催したり、猟師の免許を取得してエゾシカを獲ったり、有機野菜やハーブを栽培したりと、さまざまな取り組みをしていますが、今後はこれらを集約しつつ、地域の活性化にもさらに貢献してきたいですね」
どこに住むか。誰と何をするか。
俵真布で、精力的にいきいきと暮らす鉄平さんたちと話していると、ちっぽけな既成概念にとらわれずに、自由に生き方を選択できる時代が到来しつつあることに気付かされる。
【文】能登亨樹
【写真】川原亮
【文章中の特記なき写真】ワンダー編集部