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全国リノベ探報

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人との出会いから動き出す、仕事と暮らしと、まちとの関わり

2025.04.30

北海道函館市・西部地区。江戸時代末期の開港5都市の一つで日本初の国際貿易港であり、どこか異国のような空気が混ざる歴史を感じる街並みに、初めて訪れても不思議とじんわりとしたあたたかみを覚える。

旧市街とも呼ばれる西部地区の一角、「谷地頭(やちがしら)」というエリアの坂の上に一軒の家がある。
この家を手がけ住まわれているのは、8年ほど前に函館にUターンしてシェアオフィスの運営と空間設計・インテリアデザインを生業にするイメージ・コネクト合同会社の金谷貴明さん。
サラリーマン時代に住宅のリフォームをする会社で働き「リフォームはもうやらない」と心に決めて函館に戻ってきたが、再び住宅とそこで住む人の暮らし、まちと向き合っている。
函館の不動産会社 株式会社 蒲生商事の蒲生寛之さんにご紹介いただき、お話を伺った。


金谷さん


蒲生さん


金谷さんは現在暮らしている西部地区とは反対側、函館空港にほど近い新興住宅街で生まれ育った。

金谷さん「高校生まで函館にいて、とにかく早く大人になりたい、一人暮らしがしたいと思っていました。大学進学を機に外に出て、岩手の大学で金属工学を学び、卒業後は東京の住宅リフォーム会社に就職しました。建築を学んだわけではなかったけど、当時リフォーム市場が立ち上がりはじめたところだったので分野が違っても入ることができた。」

そこから、ずーーーっとリフォームをやっていた、と話す金谷さん。27年にわたってこの業界に身を置き、数々の現場を経験された。

金谷さん「27年やって、もういいかなと思って会社を辞めました。建築をやるんじゃなくて営業をやっていて。勤めていた年数の半分くらいは管理職でした。それに、5社6社での相見積もりが当たり前で、それも自分には合わなくて、すごく嫌だった。」

退職する転機になったのは、お母様が亡くなった時に「函館で仕事をしたいな」と思いはじめたこと。

金谷さん「母さんが亡くなってから7年後くらいに独立をしたんですけど、その7年の間ずっと函館で何かやりたいと思ってて。函館で暮らすには給与面も含めて自分が期待する就職先がないと思っていた。あるのかもしれないんですけどね。それで、独立して自分でやるしかないなと思ったんだけど、何をやろうかというのが決まらなくて。何かを決めてからのほうがよかったんだろうけど、決まらなかったからとりあえず辞めて函館に戻ってきました。」


お家からの眺め。坂の上に建っていて見晴らしが良い

函館に戻った当初は、知り合いもほとんどいなかったそう。家族も父一人、親戚付き合いもなく学生の頃の友人もいなかった。

金谷さん「それが自分にとっては、しがらみがないから良かったんですけどね。ゼロじゃないんだけれども、人脈づくりからだからゼロとイコールな状態。人脈をつくるなら、人が集まるシェアオフィスをやってみようかなって。」

そう思いはじめて物件を探していたところで紹介されたのが、当時“大三坂ビルヂング”のリノベーションプロジェクトを進めていた蒲生さんや、“NPOはこだて街なかプロジェクト”の山内さんだった。


金谷さんが運営するシェアオフィスがある大三坂ビルヂング。飲食店、オフィス、ショップ、宿泊施設などで構成された、地域の拠点となり函館の内と外とを繋ぐ新たな「場」を目指す小規模複合施設。

金谷さん「今から8年ぐらい前の出来事で、蒲生さんにシェアオフィスのことを相談していくつか物件を見せてもらう中のひとつで大三坂ビルヂングを見せてもらって。ちょうどテナント募集と、ホステルをつくる上でのDIYサポーターの募集を始めていた時期だったんです。最初は安い物件を購入して自分でリノベーションしようと思っていたんだけど、大三坂ビルヂングの建物がとってもよくって一目惚れというか。予算的なところもなんとかなりそうだったし、貸してもらえることになって、そこからが始まりですね。」





DIYサポーターにも誘われ、自身のシェアオフィスとして拠点となる区画の契約が始まる前で入居前の段階から、大三坂ビルヂングのDIYを手伝う日々。自ら手を動かすのは初めての経験だったそうだが、教わりながら作業をするうち、そこで出会った人たちとのつながりができていった。

蒲生さん「金谷さんと最初に会った時、どよんとしてるなって印象だった(笑)漆喰とかを塗っている時も、一人コミュニケーションに入ってこないなって感じだったんですけど、だんだん笑顔が増えてきて。髪型も変わり服装も変わって、明るくなってきたなというのを間近で見ていました。」

大三坂ビルヂングでのDIYを通じてできた仲間とのつながりは、のちに金谷さんの自宅改装や設計の仕事にもつながっていく。

何かこれが明確にやりたい!というよりは、人とつながっていくことでだんだんと解像度が上がっていく感じだったのだろうか。
金谷さん「そうですね。ちょっとずつ、何か見えてくるというか。自分の話を蒲生さんがちゃんと聞いてくれたんですよね。街プロ(街なかプロジェクト)の山内さんも。」


金谷さんが運営するシェアオフィス「函館大三坂シェアオフィス」

シェアオフィス運営を始める傍ら、NPOはこだて街なかプロジェクトが函館市から受託している、函館市の伝統的建造物を調査して図面に起こして改修計画を立てて見積りを出していくという事業を手伝いはじめ、現在も続けているという。

金谷さん「もともとそういう仕事をしていましたし、今までやっていた仕事だからできるなと思って。」

蒲生さん「絶対リフォームのことやらないと思ってたのにね。笑」

そう言ってひとしきり笑いあったが、金谷さんは
「それはでもほら、相見積もりじゃないからさ(笑)できることはやらなきゃと思ったし。しかも、日常的によく見ている建物の中に入って見させてもらって、お話も伺ったり、おもしろいんですよ。こんなつくりになってるんだな、というのも分かるし。それに、結局のところ自分は古い建物が好きなんだなというのがそこで分かったんですよね。函館市の建物も大好きだし。」と話す。

人とのつながりを経て、これだけはもうやらない!とまで思っていたリフォーム・改修に関わる道に再び交わるようになっていった。

金谷さん「出会う人から気づきしかもらってないというか。シェアオフィスができて、皆さんが来てくれた時に話をしていると、いろんな話をしてくれる。それは自分にはない世界なので、ぜんぶもらっている感じですね。」

蒲生さん「相見積もりの話って、その人が“誰なのか”ということはあんまり見ていないイメージ。ただ僕自身もここに住んで体験して感じることなんですけど、自分が人としてちゃんと相手に見てもらえているように感じることがすごく多い。行動力があればわりとすぐに何者かになれちゃう感じがする。」

金谷さん「函館に戻ってくるといっても、育ったまちのエリアではなくて西部地区にいたかったんですよね。函館といえばここなんですよ。ここの空気にやられちゃったんでしょうね。」


金谷さんが運営するシェアオフィス「函館大三坂シェアオフィス」

ある日、シェアオフィスでの出会いのなかでふとした会話から「ちょっと家、見てもらえませんか?」と声がかかった。「いいよ、見に行こうか」と軽い気持ちで現場を訪れたことで今の仕事の姿が形づくられていく。

金谷さん「見に行ったら自然と進んでいって設計をすることになり工事する流れになって。でも自分は設計と監理はできるけど職人を知らないから、誰か呼んできてよ、って言いながらやってみたら意外とできるじゃん!って思ったんですよね。」

その体験が偶然、同時期に2件重なったそうだ。

金谷さん「サラリーマン時代に設計は好きでやってはいたんだけど、管理職だったので現役バリバリではなかったから自信もなかった。でもやってみたら、できるじゃないかと。設計士としてなら、知っている人とのお互いの信頼関係があるなかでやれるリフォーム・改装の仕事は自分の実力を発揮できると思いました。」

最初に携わった2件の物件が大きなターニングポイントになったと話す金谷さん。

金谷さん「自分の持ってる知識とか考え方をぜんぶ入れ込むようにして、その人たちに全集中できたんですよね。その先どう住まえるか。その時だけじゃなくて先々まで見たような設計やプランや動線、楽しさとかね。相手がしたいと思うことをヒアリングして、それに自分がしたいことを重ねる。芸術家じゃないので自分からは出せなくて、相手から出てきたものに対して、話を聞いて形にしていく。形にするだけじゃおもしろくないから、楽しく・雰囲気よくとか、幸せになれるようにとか。相手がいて初めて設計できる。」

それをきっかけに、人と人とのつながりでの紹介や、金谷さんが手がけた物件を見て、いいなと思ってくれた方からの設計の仕事がつながっていくことになっていった。

その後、ある空き家との出会いが金谷さんのステージをさらに一歩進ませた。

「こんな物件あるけど、どう?」
そんなふうに3年ほど前、蒲生商事さんから声をかけられて訪ねた物件は草が生い茂り、家具などの荷物が山のように置かれたままだった。


ご自宅の玄関

金谷さん「冷蔵庫3台にテレビ3台、パソコン2台とか。仏壇もあるわ人形はあるわ、ソファは3台ぐらいあったし。この状態なんだけどね、みたいな話で。」

けれどよく見てみると、金谷さんはそこに光るものがたくさんあったと話す。

金谷さん「テーブルとか照明とか、本物があるというか。今つくったら高いようなものがあちこちにあったんです。だからそういうものは残しつつ。変なものもいっぱいあったんですけどね。笑」


ご自宅の1階。写真右:部屋奥から玄関のほうを見たようす。大きな机があるのは仕事場。この机も元からあったもの。


部屋奥の天井は吹き抜けになっていてハンモックがある(もちろん乗れる)

金谷さん「それに、建物を丁寧に使っているのが目に見えて分かった。手入れをちゃんとしている方だったんだなと思って。昭和33年に建てられた建物なんですけど、手入れしていけば大丈夫だなと思ったんです。」

蒲生さん「前の所有者さんは、相続をしたものの函館には住んでいなくて。売却しづらい場所なのだろうという認識もしていらっしゃった。実は大三坂ビルヂングのクラウドファンディングの支援者でもいらっしゃって、うちを知ってくれていたので、おもしろく使ってくれる人いないかな?というお話もあったんですよね。それで社内でも、金谷さんみたいに空間に手をかけることを経験している人だったら、使いこなせそうな気がするよね、っていう話をしていたんです。実際にそうなってくれてよかったなぁって思っています。」

物件取得後は自分との戦いだった、と話す金谷さん。

金谷さん「ここは設計の相手が自分なんですよ。だからとっても苦しみました。自分は何をやりたいのか、どうしていきたいのか。色もすごく迷ったり、本当にこの色にしたいのか?とか。」

ピンク色にすることはなんとなく決めていた、というキッチンには、悩んだ末に朝焼けのような夕焼けのようなピンク色を選んだ。


キッチン内天井、壁、ダクトパイプに至るまで同じピンク色で塗装。不思議と気分がやわらぐ色合い。

金谷さん「今までの仕事では漆喰などの白い壁に白木の床とか、既製品は使わないようにして自然素材を使っていたんだけれども、この自宅では同じようにやったらおもしろくないなと思って。自分は自分なりの違うものをと思った時に、ここでは自然素材じゃなくて色で自然を感じられるようにしてみようと思ったんです。キッチンをピンクにしたんですが、ピンク色でもいろんな色があるなかで、実際の空と合わせてこの色がいい、と決めていって。」

そう決めたことから、函館の朝焼け、夕焼けから色を拾っていき、キッチンのピンク色や1階の壁の淡い水色、床の薄紫色…と組み合わせていった。



金谷さん「色を使うことにコンプレックスがあって。まあそれは過去の話なんだけど、引きずっていたものを断ち切ったような。だからここは、セカンドステージ的な感じですかね。オフィスに出会ったのが最初のステージで、今は違うステージに入ったような気持ちがあります。」

最初のステージで出会った仲間たちにも手伝ってもらい、住みながらDIYをして6ヶ月間かけて完成した、住まい兼ショールーム。
自分らしいプランの在り方を模索すると同時に、建物の良さを活かすこと、湿気がすごいというデメリットの解決プラン、元の所有者・七里(しちり)さんが残していったものとの調和が空間を完成させているという。

金谷さん「形をつくっただけじゃ完成しないところがあって。ものがあって初めて住まいとして成り立つ。その時に七里さんが持っていたものがすごくよくて、ぜんぶここに合っていて、いいものを残してくれたなぁと。ありがとう七里さん、という気持ちです。」

椅子やテーブル、照明などのほとんどが、元々この家にあったものだそう。

そうやって完成した空間に“シチリア”という名前をつけた。元の所有者・七里さんが残してくれたものだから“しちり”という読みと、金谷さんが好きなイタリアを重ねて。


仕事場の一角。ピンク色の着物の人形は元々あったもの。いくつも人形があったうち、この人形だけなぜだか捨てられなかったそう。完成したときにはこの人形をとおして七里さんにお礼を念じたのだとか。


2階のようす


蒲生さん「こういう素材としての物件に、どう手を加えられるか。それを見せてくれたのが金谷さんなんですよね。実際に形にしてくれて、しかもショールームとして外部の人が見れる形にしてくれた。」

できあがったショールームには、住むための物件やお店をするための物件を探している人、自宅の改装を考えている人が訪れる。
その人たちが「こんな使い方ができるんだ」「あの物件もこういうふうにできそうだね」と気づきやヒントを持って帰っていく。
そこから金谷さん自身への新しい依頼も生まれていき、函館のまちでの建物の使い方の選択肢が増えていっている。それが金谷さんのショールーム・シチリアの役割になっていくのだろう。


玄関の一角

金谷さん「函館の、古い良い建物がちゃんと残っていったらいいなと思います。もちろん自分の商売にも繋がるんだけど、この雰囲気が好きだから、この雰囲気のまま残したいなって思うだけなんですよね。」

蒲生さん「函館の旧市街の伝統的建造物とか和洋折衷建築の活用って、ある程度選択肢として確立してきたように思うんですが、そうではない建物をもっと活かす選択肢が増えてくれたらいいなと思っています。実は誰でもやれるんだよ、ということを金谷さんがこの場をつくってくれたことによってもっと広がっていきそうな予感と期待がありますね。」


2階の居室

まちに居場所をつくり、人と出会い、言葉をもらいながら、自分自身の価値観も少しずつ変わっていったという。
人生をもう一回やっている感じですね、と金谷さんに伝えると、
「確かにそんな感じかも。函館のほうが自由に振る舞えるし、受け入れてくれる。」と話す。

やりたいことや願いを声に出していると、どこかで誰かが覚えていてくれて拾ってくれる。金谷さんの函館での暮らしはそんなふうに少しずつ広がってきた。
これからも、出会った人の話に耳を傾け、その人の思いを空間に映していって空間を通して人とつながり、暮らしをつくる。
そんな日々の歩みが函館というまちの雰囲気を残しながらも、新しい景色を見せてくれるのかもしれない。


【取材協力】
▷イメージ・コネクト合同会社 代表社員 金谷貴明さん
WEBサイト  Instagram  @image_connect

「函館と東京を拠点として、多くの人が幸せに感じられる空間の設計をする会社です。
お施主様とのコミュニケーションの中から、その方の持っている特性を感じ取りプランに反映させること、同時に建物の立地や歴史、特徴を現地で読み取り、その空間のもつ良い部分を見つけ出し、活かしたプランを念頭において設計をします。」

▷函館大三坂オフィス
WEBサイト  Instagram  @hakodate_daisanzaka_office

伝統的建造物をリノベーションした人と人がつながる小さなコワーキングスペース

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▷株式会社 蒲生商事 蒲生寛之さん
WEBサイト  Instagram  @gamo_co_ltd

「私たちは、住まいは一生モノではなく暮らしに合わせて変えていくものだと考えます。
生き方を縛る長い住宅ローン、手を入れる自由のない賃貸住宅、スクラップアンドビルド、これらが当たり前だった時代はもう終わりにきているのではないでしょうか。
住まいが人から人へ引き継がれ、住む人によって形を変えていくという事が、今必要とされていると感じます。私達は、豊かな人生とは何か特別なことではなく、“日常の気持ちいい暮らし”であると考え、皆様の住まい探しのお手伝いをさせて頂きたいと思っています。」


【写真・文】ワンダー編集部

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