全国リノベ探報
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古い倉庫の歴史をつなぎながら、移住のその先で育てる暮らしのかたち
2025.04.28
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江戸時代末期に開港港として指定された5都市のひとつであり、日本初の国際貿易港という歴史がある北海道函館市。西洋文化と日本文化が融合した独特の景観が、特徴的なまちなみをつくっている。
今回、函館市の不動産会社「株式会社 蒲生商事」の蒲生寛之さんにご紹介いただき、函館市西部地区の漁港があるエリア・入舟町にある倉庫を改修して花屋・ギャラリー「épuis & co.(エプイアンドコー)」をご夫婦で営むKIM-SUZUKI ジョセフさん、由衣乃さんにお話を伺った。
手前の背の低い建屋が花屋。奥の背の高い白い建物と一体になっている
お店の看板がかけられている背の低い建屋が花屋のスペース。花屋の世界観ももちろん素敵なのだけど、お花を眺めながら進んでいくと、奥に広がるギャラリー空間に圧倒されて思わず言葉を失ってしまった。
生花を眺めながら奥のギャラリースペースへ
突然目の前が開けた開放感に加えて古い柱が並ぶ姿や展示物に圧倒される
アーチがかかるドアの奥が入ってきた花屋のスペース
ジョセフさん「家族で少しずつ改修しています。両親と一緒に空間デザインをしながら、トイレなどの設備やセメントを流し込んだり以外は父がDIYで作業をしていて、自分たちで柱を上げたりもしています。」
そうお話を聞きながら眺めてみても、どこまでが既存をそのまま活かしてどこからが新しく手を施したかが分からなくなるほど、もとからこの佇まいだったように馴染んでいる。
ジョセフさんは韓国・ソウル生まれのカナダ・バンクーバー育ち。高校卒業後、イギリス(ロンドン)に留学して5年間ヨーロッパの舞台衣装を学び、ミュージカルや舞台の衣装をつくるお仕事をされていたそう。
由衣乃さんは函館生まれ函館育ち。高校卒業後に札幌で暮らしたのち単身カナダへ。帰国後は函館にUターンし花屋で6年勤務し、ジョセフさんと「épuis & co.」を独立開業。
蒲生さんとの出会いは、ジョセフさんのご両親が函館に移住されたことにさかのぼる。
KIM-SUZUKI ジョセフさん
左:KIM-SUZUKI 由衣乃さん、右:蒲生寛之さん
ジョセフさん「7年ぐらい前に両親が千葉から函館に移住したんです。その頃、僕は韓国で仕事をしていました。バンクーバーで育ったんですが、留学したあとに実家がバンクーバーから千葉に移ったことで育ってきた家がなくなって。馴染みがなく、よく分からない場所(千葉)の実家に帰るということになった。それから実家は日本にあるということになるんですけど、7年前に函館が実家になった時には千葉とは印象が違って、函館は来た瞬間に昔からいた故郷のような感じがしてしっくりきたんです。」
その素直な自分の感覚から、函館で暮らしたいという思いが自然と湧いてきたという。
ジョセフさん「蒲生さんに相談した当初は、本当は住む家を探していたんです。いろんな物件を見て回っていたなかで、先にこの倉庫を見つけちゃってとても気に入って。」
蒲生さん「銭湯とかもあったよね。何年も空き家になっている廃墟の銭湯。このあたりで物件を探したくて、ということで相談してもらったんですけど、その時にはすでに自分の足でかなり歩いて探してたんですよ。自分たちの嗅覚で見つけ出していました。」
ジョセフさん「まちのなかに入り込んで自分たちの空間をつくりたいと思っていて。いろいろなところを見て探したんですがなかなか見つからなくて。いいなと思っても買いづらい物件だったり条件があわなかったり。最初の頃は苦労した覚えがあります。」
ジョセフさん「そんな時に市内をドライブして。函館西部地区のどの町もそれぞれの色があるので、そういう面を見るためにも車でぐるぐる周りながら、どこが住みやすいかな?どこでベースをつくりたいかな?と考えながら巡りました。ここは青柳町、ここは弥生町、船見町、ここからは入舟町だね、という感じで。その最中にこの前を通って、素敵な建物だな〜って。でも建物が大きいし、感想として思っていたんですが蒲生さんに話したら情報を集めてくれて、うまく話が進んでここまで来ました。」
由衣乃さん「当時働いていたところを退職して自分でつくりあげていきたいなというタイミングがちょうどジョセフと同じでした。ものづくりがお互い好きなので、一緒につくっていこうか、ということで。」
独立したほうが自分の味が出しやすいかなと思っていて、と話す由衣乃さんは、その思いのとおり自分たちのお店でやりたい表現ができているという。
épuis & co.がある入舟町の一角の風景
épuis & co.の目の前の通り。レンガの壁が続く姿が印象的だ。
花屋の作業場からは船が見える
外からアクセスするツリーハウスのような2階部分
ツリーハウスのような2階ではドライフラワーや花器を販売
こちらはギャラリースペースのほうから上がった2階のイベントスペース「舞台 MUKARA」の景色。
がっしりと組まれた屋根が低く、ステージのようにも見えるどこか神々しい空間が広がる。
屋根の木組みは、船の底の組み方のよう。照明が最低限しかなく、空間にマッチしている。
昔のスイッチや電話も残されている
蒲生さん「この倉庫は流通してたわけじゃなかったんですが、所有者を探しだして交渉して、購入できるという結果に至ったんです。」
ジョセフさんたちが物件を取得されたとき、蒲生さんが興味深く感じたというエピソードを教えてくれた。
蒲生さん「もともと3つ倉庫があったんですよ。ここと他に2つ倉庫があって、まとめてじゃなきゃ売れないという条件もジョセフさんたちが納得いただいて購入を決めてくれたんです。その3つのうちの一番新しいというか、そのまま使えそうな倉庫を壊したんですよ!一番雰囲気ないからって!その思い切りがすごいなぁと。」
ジョセフさん「鉄骨造りでトタン貼りというのかな?いちばん現代のもので丈夫な建物だったんですけど、壊しました(笑)」
倉庫に住むことを考えたこともあったけれど、住むにはハードルが高く、住居は賃貸で住んでいるそう。
そんなジョセフさんたちが惚れこんだ海沿いの倉庫は大正9年築。
この外壁の錆を残して周りのダークグレーの箇所を塗装したというこだわり!
3つあったうちのもう一つの石蔵。家具屋さんが工房として借りていて、家族みたいな関係で仲良くしているそう。
ジョセフさん「100年以上の建物。あらたな故郷と思える場所の歴史と文化そのものだと思っているので、できるだけ活かしながら使っていきたいと思っています。あまりたくさんいじらずに、うまくつくっていきたいです。」
そう話すジョセフさんの言葉と実際の空間づくり、先ほどのいちばん新しい倉庫を壊したというエピソードそれぞれが合致して、言葉に強い想いを感じる。
ジョセフさん「ギャラリーのほうは、テーブルギャラリーというコンセプトで始めました。毎月展示を変えていて、今はちょうどアフリカのテキスタイルの展示会を。少し前には母が陶芸をやっているので、そのグループの展示販売会をしましたね。」
テーブルギャラリーの主役のテーブル。近くで取り壊される家屋からお父さんが引き継いでもらってきたそう。
取材させていただいた時の展示の様子
倉庫を購入してギャラリーを始めた当初は年に2〜3回のペースで展示会やイベントを開かれたそう。
イベントは外部の人に貸したりコラボするなどで開催。
ジョセフさん「海外にいて話しながらやるのと、移住してきてからここにいながらやるのとでは違いますね。どんどん変化していきたいと思っています。」
蒲生さん「先にジョセフさんのご両親が函館にいて、6年くらいかけて本当に少しずつ手をかけていて、耕すという感じで進んできたように思います。そこにジョセフさんたちが来て、また一気に、ぐんと進んだ印象ですね。外から見ていると。うまく使ってくれる人と出会えてよかったと思います。」
どこを撮っても絵になるギャラリー
何が置いてあるのか隅々まで気になるのだった
現状でも唯一の雰囲気を感じ完成されつつある印象を受けるが、今の段階でご自身たちがやりたい表現はどれくらい実現できている感覚なのだろうか。
ジョセフさん「ぜんぜん、はじまったばかりです。空間も残っているし、自分の手でできることも考えながらお客さんの意見も聞きながら、これからどうしていくかを考えてやっていくのが自分たちのこれからの仕事じゃないかなと。自分たちの場所でもあるけれど、来て見て楽しんでいただくことが大きな目標でもあるので、お客さんの意見も大事に思っています。
途中なのも、お客さんが変化を見れて楽しいかなと。いろんな人が訪れてくれて、これがあったら喜ぶだろうなとかを自分たちだけで考えるのと直接の声を聞くのとでは差がある時もあるので、そういうのも聞いて、ちょっとずつ進んでいきたいなと思います。」
思いがけず出会った物件で理想の暮らしを育てていっているジョセフさんと由衣乃さん。
移住されたジョセフさんに函館での暮らしを聞いてみると
ジョセフさん「もう、大好きです。ここみたいな場所はなかなかなくて。自分が育っていた環境と似ているというか、共通点があって。港町でもあり山が近くて自然が近くにある。食べ物も美味しいし、外国からの文化の影響が深い。自分がいたヨーロッパの影響を受けているのも見えて、ああ、僕がいる場所だなと感じて心地よいです。育ってた環境と似てるのと、自分が懐かしいなと思うのと、好きだなと思うことと、すべて揃っているなと思っています。」と話す。
ギャラリーの全景
ジョセフさん「どうしても函館に来たくて。ビザのことやコロナ禍が重なって、こちらに来るのは簡単なことではなかったですが、在住資格が手に入ってくることができて本当に嬉しく思っています。」
函館のまちの心地よさや魅力をお伺いしたところで、よい面ばかりではない現実的なお話も。
今後同じように函館に移住したいと考える人に伝えたい、移住に向けて持っておいたほうがいい意識や覚悟といったものがあるか伺った。
ジョセフさん「ありますね。何をやりたいかによってすごく変わってくるんですけど、自分は運が良くて、ハードルもありながらもいろんな条件や環境が揃えられたと思います。家族がいたりパートナーがいたり、蒲生さんと出会えたことでこういう場所を持てたり、そういうプラスな条件が。」
魅力があるまちでありつつ、ハードルはすごく高いと感じると話す。
ジョセフさん「あとは住む場所。西部地区の魅力でもあって難しい部分でもありますが、古い家がほとんどで直して住みたいと思うんだけど、昔からの家族の問題があったり、簡単に手放したくない事情があると簡単には売れない、つまり買えないことになる。素敵な物件はたくさんあってもそこがネックで、住んでお店や会社をやろうと思う人にはハードルもあるかなと思います。」
左に見える人工芝のスペースは地域の人のモルックの練習に貸し出している
ジョセフさん「たとえば経済的な面でも、東京とかロンドンとか大きな都市であればノープランでもなんとかなるところもある。バイトを探して最初はなんとかして、とか。でも函館は人口が少ないこともそうだし、仕事にしても自分が好きなものを探すのが難しかったりする。前もってプランしてきたほうがいいかなと感じます。」
蒲生さん「何か明確な目的とか、自分はこれが函館でやりたいんだ!っていうことがある人にとっては、周りからの助けと出会える確率は高いと思います。ただそれがなくて待ちの姿勢で来ちゃうと、何もなかったな、みたいな感じで帰っちゃう人もいるのかなと。」
ジョセフさん「条件は人によって違うと思いますけど、最高な環境だとは思います。海があって食べ物は最高だし人は優しいし。歴史があるし自然があるし山があるし…って、ぜんぶある。人間ベースとして生きていくにはすごく環境がいい。入ってくるのは問題ないんだけど、残るのが難しい。」
魅力と課題は表裏一体。自分が思い描く生き方、暮らしをデザインするという視点が大切なように感じた。
一方で、人と物件、人とまち、人と人をつなげる蒲生さんのような存在や手助けしてくれる地域の人と出会えるかどうか、良い関係性をつくっていけるかということも暮らしの豊かさに強く関係するだろう。
少しずつ進める空間づくりも、関わってくれる地域の人とコミュニケーションをとりながらつくりあげていく。
ジョセフさんと由衣乃さんの姿に「移住=ゴール」ではなく、暮らしを育てていくスタートなのだと改めて気づかされた。
【取材協力】
épuis & co.(KIM-SUZUKI ジョセフさん、由衣乃さん)
▷1階の花屋・ギャラリー「épuis & co.」
WEBサイト Instagram @epuis_and_co
大正時代、函館入舟町に建てられた大きな倉庫の一角にある花屋、épuis & co.(エプイアンドコー)。
et puis…それから・そして(フランス語)
epuy…木の花や蕾、果実(アイヌ語)
この2つの言葉からépuisは生まれました。大昔から人々と密接に暮らしてきた植物1つ1つの個性を大切に、さまざまなシーンに合うお花をお届けします。
▷2階のイベントスペース「舞台 MUKARA」
WEBサイト Instagram @butai_mukara
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株式会社 蒲生商事(蒲生寛之さん)
WEBサイト Instagram @gamo_co_ltd
私たちは、住まいは一生モノではなく暮らしに合わせて変えていくものだと考えます。
生き方を縛る長い住宅ローン、手を入れる自由のない賃貸住宅、スクラップアンドビルド、これらが当たり前だった時代はもう終わりにきているのではないでしょうか。
住まいが人から人へ引き継がれ、住む人によって形を変えていくという事が、今必要とされていると感じます。
私達は、豊かな人生とは何か特別なことではなく、“日常の気持ちいい暮らし”であると考え、皆様の住まい探しのお手伝いをさせて頂きたいと思っています。
【写真・文】ワンダー編集部